阿弥陀堂だより。

阿弥陀堂だより

という映画を見ています。

飯山の自然の美しさや、

子供やおばあちゃんの

飾り気のない素直な演技や、

ただ静かに流れるように

進むストーリ、

そういった映画としての魅力も

とても素晴らしいのですが、

個人的には

その中の言葉が

とても印象に残っている

作品です。

文章のみがき方

を読んで、

文章を意識したとき、

最初に浮かんだ

良い文章というものが、

この映画の中で語られる

阿弥陀堂だより

という一節のコラムでした。

簡素な中にも

味がある、

まさにその通り。

劇中で使われている一節を

下に引用してみます。

いつかは

こんな文章が書けるように

なりたいものです。

  阿弥陀堂だより

  娘の頃は熱ばかり出していて
  満足に家の手伝いもできませんでした。

  家の者も村の誰もが、
  この娘は長生きはできないだろうといったものでした。

  それが、こんなに死ぬのを忘れたような
  長生きになってしまうのですから、
  人間なんてわからないものです。

  年をとれば取るほど
  わからないことは増えてきましたが、
  その中でも自分の長生きの原因が
  一番わからないことです。

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